熊本市議会 2022-06-29 令和 4年第 2回定例会−06月29日-06号
福永氏は、昭和31年の生まれで、熊本大学教育学部を卒業後、植木小学校校長、植木北中学校校長などを歴任されました。 藥師寺氏は、昭和32年の生まれで、長崎大学教育学部を卒業後、北部東小学校校長、黒髪小学校校長などを歴任された後、本市児童育成クラブ巡回指導員をお務めいただきました。
福永氏は、昭和31年の生まれで、熊本大学教育学部を卒業後、植木小学校校長、植木北中学校校長などを歴任されました。 藥師寺氏は、昭和32年の生まれで、長崎大学教育学部を卒業後、北部東小学校校長、黒髪小学校校長などを歴任された後、本市児童育成クラブ巡回指導員をお務めいただきました。
福永氏は、昭和31年の生まれで、熊本大学教育学部を卒業後、植木小学校校長、植木北中学校校長などを歴任されました。 藥師寺氏は、昭和32年の生まれで、長崎大学教育学部を卒業後、北部東小学校校長、黒髪小学校校長などを歴任された後、本市児童育成クラブ巡回指導員をお務めいただきました。
熊本大学では、教育学部の推薦入試に地域枠を新設されました。これは熊本県で採用する小学校教員を目指す県内高校生が対象になり、資質、能力の高い小学校教員の円滑な確保というものが目的だそうです。また、小学校の教科担任制導入を見据え、理数枠も設けるということでありました。 熊本県の教員不足、教員志願者の減少は深刻であり、こういう現状打開ということもあるのではないかなというふうに感じております。
澤氏は、昭和33年の生まれで、熊本大学教育学部養護教諭特別別科を修了後、宇土市立緑川小学校をはじめ、県内の小中学校の養護教諭をお務めになり、平成31年3月に退職されました。現在は、本市の市立小中学校の初任者研修指導講師をお務めいただいているほか、日本学校心理士会熊本支部副支部長として活躍されております。
澤氏は、昭和33年の生まれで、熊本大学教育学部養護教諭特別別科を修了後、宇土市立緑川小学校をはじめ、県内の小中学校の養護教諭をお務めになり、平成31年3月に退職されました。現在は、本市の市立小中学校の初任者研修指導講師をお務めいただいているほか、日本学校心理士会熊本支部副支部長として活躍されております。
窪田氏は、昭和43年の生まれで、早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程の単位を取得され、現在は熊本学園大学社会福祉学部教授として活躍されているほか、本市教育委員会委員をお務めいただいております。 次に、諮第8号につきましては、同じく令和4年3月31日をもちまして任期満了となります西田正勝氏の後任として、嶋崎昭宏氏を新たに人権擁護委員の候補者として推薦しようとするものであります。
窪田氏は、昭和43年の生まれで、早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程の単位を取得され、現在は熊本学園大学社会福祉学部教授として活躍されているほか、本市教育委員会委員をお務めいただいております。 次に、同じく令和4年3月31日をもちまして任期満了となります西田正勝氏の後任として、嶋崎昭宏氏を新たに人権擁護委員の候補者として推薦したいと考えております。
笹川氏は、昭和53年の生まれで、青山学院大学経営学部を卒業後、株式会社九州不動産鑑定所に勤務されました。現在は、ロンツグループ株式会社代表取締役のほか、株式会社九州不動産鑑定所取締役として活躍されています。 飯星氏並びに笹川氏は、いずれもその人格、識見ともに固定資産評価審査委員会委員として適任であると考え、選任同意をお願いする次第であります。
笹川氏は、昭和53年の生まれで、青山学院大学経営学部を卒業後、株式会社九州不動産鑑定所に勤務されました。現在は、ロンツグループ株式会社代表取締役のほか、株式会社九州不動産鑑定所取締役として活躍されています。 飯星氏並びに笹川氏は、いずれもその人格、識見ともに固定資産評価審査委員会委員として適任であると考えております。
馬場氏は、昭和35年の生まれで、昭和58年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、司法試験に合格され、平成14年に桜樹法律事務所を共同開設されました。現在は、熊本広域行政不服審査会会長として御尽力いただいております。 野田氏は、昭和27年の生まれで、昭和53年に熊本大学理学部を卒業後、福岡市立原中学校教諭となられ、以来、熊本市立杉上小学校校長などを歴任されました。
廣塚氏は、昭和28年の生まれで、昭和51年に北九州大学外国語学部を卒業後、本市に入庁され、以来、教育委員会事務局教育企画課長、文化生活部長、教育長などの要職を歴任され、平成26年に退職されました。平成27年5月からは本市環境紛争調整委員会委員をお務めいただいております。
廣塚氏は、昭和28年の生まれで、昭和51年に北九州大学外国語学部を卒業後、本市に入庁され、以来、教育員会事務局教育企画課長、文化生活部長、教育長などの要職を歴任され、平成26年に退職されました。平成27年5月からは本市環境紛争調整委員会委員をお務めいただいております。 廣塚氏は、警察の民主的管理と政治的中立性の確保を図るために設けられた公安委員会の委員として適任であると考えております。
希望にあふれて教育学部等で学んで、教育実習などを通じて努力を積み重なれば重ねるほど過酷な現状を知り、理想と現実のギャップに悩み、当初の夢を諦め教育現場に足を踏み入れることなく社会に出る学生がかなりの数に上ることはよく知られています。 もちろん、どの職業に就くにせよ楽な仕事はありません。
体育学部の授業では、スポーツ学を学びますが、授業では、パフォーマンスを発揮するためには、効率よいトレーニングのためには、熱中症予防として、水分補給が重要と学んでいるのにもかかわらず、部活になると公には水分補給ができず、当時1年生であった私や同級生は、隙を見てトイレの水を飲みに行くということもあり、まさに時代に合わない風習でありました。
希望にあふれて教育学部等で学んで、教育実習などを通じて努力を積み重なれば重ねるほど過酷な現状を知り、理想と現実のギャップに悩み、当初の夢を諦め教育現場に足を踏み入れることなく社会に出る学生がかなりの数に上ることはよく知られています。 もちろん、どの職業に就くにせよ楽な仕事はありません。
松田氏は昭和29年の生まれで、昭和53年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、株式会社熊本放送に勤務されました。現在は民事調停委員として活躍されております。 宮崎氏は昭和47年の生まれで、平成2年に熊本県立熊本農業高等学校食品工業科を卒業され、現在は宮崎ハウジング代表として活躍されているほか、保護司としても尽力されております。
松田氏は昭和29年の生まれで、昭和53年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、株式会社熊本放送に勤務されました。現在は民事調停委員として活躍されております。 宮崎氏は昭和47年の生まれで、平成2年に熊本県立熊本農業高等学校食品工業科を卒業され、現在は宮崎ハウジング代表として活躍されているほか、保護司としても尽力されております。
姫路市立旭陽小学校、姫路市立朝日中学校を卒業後、兵庫県立姫路南高等学校、創価大学通信教育部教育学部教育学科に進学、卒業後は証券会社に就職され、御結婚後は税理士事務所で勤務された後、御家族が経営されている株式会社徳田産業に役員として勤務されておられます。さらに特技の英語を活かして御自宅で英会話教室を営まれ、中央公民館で活動されている英会話サークルでの指導もされておられます。
小川氏は、昭和31年の生まれで、昭和55年に熊本大学教育学部を卒業後、菊池郡大津町立大津中学校教諭となられ、以来、熊本市立桜山中学校校長などの要職を歴任されました。その後、本市田原坂西南戦争資料館館長を務められ、現在は、本市教育委員会指導課に勤務されています。 吉良氏は、昭和34年の生まれで、昭和56年に熊本大学理学部を卒業後、熊本市立長嶺中学校教諭、京陵中学校教諭などを務められました。
小川氏は、昭和31年の生まれで、昭和55年に熊本大学教育学部を卒業後、菊池郡大津町立大津中学校教諭となられ、以来、熊本市立桜山中学校校長などの要職を歴任されました。その後、本市田原坂西南戦争資料館館長を務められ、現在は、本市教育委員会指導課に勤務されています。 吉良氏は、昭和34年の生まれで、昭和56年に熊本大学理学部を卒業後、熊本市立長嶺中学校教諭、京陵中学校教諭などを務められました。